70年代研究所

70年代~80年代!あの時代にタイムスリップ!

伝説のロッカー忌野清志郎

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ベストヒット清志郎

RC時代からソロ、THE TIMERS、忌野清志郎&2・3'sなどのバンド、忌野清志郎+坂本龍一の「い・け・な・いルージュマジック」など、清志郎がギッシリ詰まった2枚組CD。

 

 

前回、70年代のRCサクセションを取り上げましたが、今回はRCのフロントマン忌野清志郎だけにスポットを当てたいと思います。70年代以降の話も出てきますが、そこは大目に見てください。

 

RCサクセションのファーストアルバム『初期のRCサクセション』(1972年発売)に「言論の自由」という曲がある。

 

♪本当のことなんか言えない

本当のことなんか言えない

言えば殺される

学校にいるときは それは許された

卒業したら それは通じなかった

本当のことなんか言えない

本当のことなんか言えない

言えば殺される

 

と、“本当のことなんか言えない”という“本当のこと”を歌っているのだが、忌野清志郎という人は、まさに本当のことだけを歌うシンガーだったのである。

 

その姿勢はずっと変わらなかった。理不尽な仕打ちを受けると相手を名指しで罵倒する歌を歌った。反戦・反体制・反原発も、得意のラブソングと同じように歌った。いつだって自分の気持ちをそのまんま歌にしたのだ。

 

だが、忖度しない清志郎には当然風当りも強く、発売禁止になったり、干されたり。でもそこで「もう面倒くさいし、損だし、過激な曲はもうやめよう」とはならない。自分の気持ちに嘘がつけないのだ。

 

インタビューやテレビなどでは、シャイで言葉数も少なく、何か聞かれても「いやぁ、どうなんだろう。特に深い意味はないです」とかよく答えていた清志郎さん。真実は歌でしか伝えない、そこにしか答えはないというポリシーだったのでしょう。

 

ステージでは水を得た魚のようにシャウトしていた忌野清志郎。売れなくて気分が腐っていた70年代は、とにかくトンガっていたという。渋谷のライブハウス「青い森」で、歌い、がなり、客に毒づく日々。そんな毒づかれた客の一人に泉谷しげるがいる。泉谷はお客さんとしてRCサクセションのステージに衝撃を受け、3歳年下の清志郎を「師匠」と呼び、自分でも歌い始める。

 

清志郎に影響を受けた破天荒毒舌キャラで人気になった泉谷。だが、自分の方が師匠より売れ始めると、(叱咤激励もあったかもしれないが)清志郎の陰口をたたいてしまう。それが耳に入った清志郎はステージでこう歌った。

 

♪ビ〇コのヤマ師が オレが死んでるって言ったてさ

よく言うぜ あの野郎よく言うぜ

あきれて物も言えない

 

この曲「あきれて物も言えない」はその後1980年にアルバム『PLEASE』に収録された。でも出だしの歌詞は“どっかのヤマ師が”に変更されている。さすがにあのままじゃね。差別用語だし。その後、和解した清志郎と泉谷は、共演も多くなり、2002年にはついにバンド「清志郎・泉谷・スパイスマーケット」を結成。 ライブも成功させ、いよいよCDを出すことになる。しかし泉谷がレコーディングよりドラマ『Dr.コトー診療所』のロケを優先。また清志郎をあきれさせ、絶交になったと言われている。泉谷さんの肩を持つわけでもないが、「わりぃけどレコーディングよぉ、ちょっと延ばしてくれよー」ってかんじだったんじゃないかなぁ~とも思うけど。

 

70年代は、よしだたくろう、井上陽水などの前座も多かったRCサクセション。矢沢永吉の前座をやった時は「帰れ」コールを浴びてしまう。客のその態度に清志郎は「矢沢B吉でーす。永ちゃん、いま楽屋でクソしてるんで僕らがやりまーす」とマイクで返したという。す、すごすぎる!

 

80年代になって売れてからも、「夜のヒットスタジオ」でテレビカメラに向かってガムを吐きかけたり、アルバム『FEEL SO BAD』で所属事務所に抗議する曲を入れたり、反戦・反核をテーマにしたアルバム『COVERS(カバーズ)』の発禁に激怒して戦ったり、まさにロック!

 

極めつけはやはり、THE TIMERS(ザ・タイマーズ)。名曲「デイドリーム・ビリーバー」のカバーが大ヒットしたこのバンドだが、すげえバンド名に名前負けせず、忌野清志郎によく似た人物"ZERRY"が大暴れ。

 

1989年、生放送の「ヒットスタジオR&N」に出演したTHE TIMERS(ザ・タイマーズ)は、いきなり曲を変えて、頭にきていたラジオ局を大批判。司会の古舘伊知郎もあっけに取られていた、伝説の放送事故ですね。

 

こうやって清志郎さんのメチャクチャなエピソードを集めると、忌野清志郎ってヤバイ人! と思われるかもしれないが、それもこれもストレートに生きた証なのだ。普通の人が飲み込む言葉を曲に乗せて吐き出していただけなのだ。なぜならロッカーだから。もちろんこんなエピソードなんて、清志郎のほんの一部でしかなく、ラブソングの名手でもありました。恋愛から人類愛まで幅広くね。

 

そう言えば90年代に、清志郎さんを見かけたことがある。エンケンこと遠藤賢司のライブに行ったら、隣にいたのです。小さなライブハウスのスタンディングライブ。ステージ上でしか見たことがない伝説のロッカーが隣にっ! 髪の毛を下ろし、気配を消しているので誰も気づいていなかったが、ファンだからわかりました。真っ黒な服装をしているのに、靴だけ真っ赤だったのが印象に残っています。

 

それにしても、こんな唯一無二の偉大なるアーティストが、あんなに早くいなくなるなんて、本当に残念でなりません。今キヨシローがいたら、どんな歌を歌っていたのでしょう。コロナは絶対テーマになっていたはずだし、「オリンピック反対音頭」とかもありそうですw

 

 

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COMPLETE EPLP ~ALL TIME SINGLE COLLECTION~

RC SUCCESSION 70年~90年までのRCの代表曲がどっさり入った3枚組CD。