70年代研究所

70年代~80年代!あの時代にタイムスリップ!

【ボクシング】昭和のチャンプは七転び八起き!

みなさん、昨日のボクシング、モンスター・井上尚弥選手の試合観ましたか? つ、強すぎる! あのボディーブローはえぐい! 年内の世界バンタム級4団体統一が見えてきましたね。

 


勝ちスイッチ

 

 

今回はそんな、ボクシングのお話です。昭和の日本の名チャンプを研究していきます。

現在のボクシング界は、たくさんの団体があります。スーパー王者、正規王者、暫定王者などを含めると、ひとつの階級に何人もの世界チャンピオンがいるのです。モンスター・井上尚弥は、それを統一しようとしているわけですね。

でも、昔はWBA(世界ボクシング協会)しかなかった。1963年にWBC(世界ボクシング評議会)が出来ますが、それでも2団体です。昔はボクシングで世界チャンピオンになるというのは、本当に厳しい時代だったのです。

 


白井義男
1952年5月19日世界フライ級王者獲得。日本人で初めてボクシングの世界チャンピオンになった白井義男。この偉業を称え、この日は日本プロボクシング協会によって「ボクシングの日」に指定されています。日本での競技人口も、ボクシングのベルト数も少ない時代の快挙なのです。戦後の日本人に勇気と希望を与えました。


ザ・チャンピオン (この道シリーズ)

 

 

ファイティング原田
1962年、世界フライ級王座獲得。1965年、バンタム級でも世界王座となり、日本人初の2階級制覇達成。1969年には、WBCフェザー級王座に挑戦。3度もダウンを奪うが、敵地シドニーの地元判定で王座奪取ならず。世界ボクシング殿堂入りを果たした、最初の日本ボクサー。


ファイティング原田 日本最強のチャンピオン[ビデオ]

 

 

海老原博幸
1963年世界フライ級王者獲得。「カミソリパンチ」で1969年にも世界王者に返り咲いた。

 

藤猛
1967年、WBA・WBC世界スーパーライト級王座獲得。「ハンマー・パンチ」のKO率は7割以上。ハワイ出身の日系3世。国籍はアメリカ。

 

沼田義明
1967年、WBA・WBC世界ジュニアライト級王座獲得。1970年WBC世界ジュニアライト級王座に返り咲いた「精密機械」。初防衛戦では、ダウンさせられながらも逆転KO勝利

 

小林弘
1967年、沼田義明と初の日本人同士の世界戦にKO 勝利。WBA・WBC世界ジュニアライト級王座獲得。武器はクロスカウンター。

 

 

西城正三
1968年、ロサンゼルスで、WBA世界フェザー級王者獲得。日本人初の「海外での世界王座奪取」。引退後はキックボクサーに転身。キックでも17戦 15勝 13KO 1敗 1分と無類の強さを誇りました。俳優や歌手活動もした、元祖イケメン。当時のハンサム。映画『直撃! 地獄拳』では千葉真一とも対戦w


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大場政夫
1970年、WBA世界フライ級王座獲得。極貧の家庭に生まれた彼は、そのハングリー精神で世界チャンピオンにまで上り詰めた。子供の頃、本当に大好きでした。倒されても起き上がって、最後は相手をノックアウトする。毎回ハラハラドキドキの展開で、まさに『あしたのジョー』を現実にしたような選手でした。1973年、愛車シボレー・コルベットで事故を起こし、世界チャンピオンのまま永眠。まだ23歳。泣いたな。信じたくなかった。「永遠のチャンプ」です。


大場政夫の生涯

 

 

柴田国明
1970年、WBC世界フェザー級王座獲得。2階級、3度世界王座に輝く猛者

 

輪島功一
1971年、WBA・WBC世界スーパーウェルター級王者獲得。その後、陥落しても返り咲き、通算3度王座を獲得した炎の男「かえる跳びパンチ」「よそ見パンチ」など、その変則ボクシングは面白かった。試合前にマスクして会見した、「風邪をひいたフリ作戦」もありました(笑)。日本人元世界チャンプの面白キャラの元祖でもあるスゴイ人。リスペクトとして、国分寺の団子屋『だんごの輪島』へ行きましょう。


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ガッツ石松
1974年WBC世界ライト級王座獲得。ガッツさんの功績は、まだWBCとWBAの2団体しかない時代に、層の厚いライト級のベルトを巻いたことであります。しかも5度も防衛。幻の右を武器に、ガンガン戦っていました。あの石の拳・ロベルト・デュランとの防衛戦もありました(負けたけど)。ガッツさんの生涯成績は51戦31勝(17KO) 14 敗6分。有名な世界チャンプにしては、結構負けているんですけど、転んでも起きるんですよね。なにせガッツがあるから。


人生はOK牧場!

 

 

大熊正二
1974年WBC世界フライ級王者獲得。その後、負けても戦い続け、1980年に王座返り咲き。世界挑戦8回、世界戦13回の記録を持つ。

 

花形進

1974年WBA世界フライ級王座獲得。5度目の世界挑戦で念願のチャンプに。

 

ロイヤル小林
1976年、WBC世界ジュニアフェザー級王座獲得。大卒ボクサーとして日本人初の世界王者ですが、パンチパーマに髭を生やした外見は、そうは見えなかったです。

 

 

具志堅用高
1976年、WBA世界ライトフライ級王座獲得。その後13度連続の世界王座防衛は、2021年現在でも日本人世界王者の最多記録。9戦目での世界王座奪取も、当時の国内最短記録。不滅の記録と記憶を残した「カンムリワシ」。ただの「ちょっちゅね~」おじさんではありません。沖縄が生んだ英雄であります。


具志堅用高 世界タイトル全15戦 第2部「燃焼」

 

 

工藤政志
1978年、WBA世界ジュニアミドル級王座獲得。この時期、日本ボクシング界は低迷期で、16戦連続世界王座挑戦に失敗。それを止めた男です。しかも日本人には重いジュニアミドル級(現スーパーウェルター級66.678 - 69.853kg)での王座奪取は見事です。さらに2度防衛。もっと評価されてもいいチャンプ。

 

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以上、創世期から70年代までの世界王者たち。西城正三、大場政夫、柴田国明、輪島功一、ガッツ石松、具志堅用高と、当時のチャンプはキャラが立ってますねー! あと、印象深いのは、当時のボクサーは倒されても負けてもチャレンジする選手が多いです。根性がすごいんですね。

 

 

と、最後にひとつ思い出したことがありますので、どうしても書きます! ワタクシかなりのボクシングファンでして、子供の頃から世界タイトル戦はテレビで必ず見ていたんです。すると、すべての試合会場に同じお客さんがいるんです! 大柄で太っているスーツのおじさん。その人は日本人選手がダウンなんかとると、真っ先に立ち上がって両手を上げて喜ぶのです。だからすごく目立つ。その時すでにおじさんだったので、今はさすがにいないんですけど、80年代くらいまでは確実にどの会場にもいて、すごくいい席に座っていて、いい場面で立ち上がって喜んでいました。あの人誰なんだ⁉ 『探偵!ナイトスクープ』さん、調査お願いします! 実はワタクシ、ボクシング関係の仕事もしていたことがあって、いろんな人に聞いたのですが、わからなかったのです。「興行関係者でしょ。それかヤクザ」とみなさんおっしゃっていました。ま、そうかもしれないけど、毎回あんないい席で、何十年もあんなに目立っていたのに、ボクシング界の有名人じゃないんですか? もっと年配のボクシング関係者に聞けばよかったなぁ。どなたかご存知の人がいらっしゃったら、教えてください!!!! 

 

 


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