黒澤明監督は、70年代に2本しか映画を撮っていない。
『どですかでん』と『デルス・ウザーラ』である。どちらも黒澤に詳しくない人は知らないような作品だ。これはいったいなぜなのか・・・?
“世界のクロサワ”。 スピルバーグ、ルーカス、コッポラが憧れ、ハリウッドでは黒澤映画のリメイクが作られ、ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞、アカデミー賞で名誉賞を受賞するなど、日本より世界での評価が高い大監督である。70年代、そんな偉大な映画監督になにがあったのだろう。
醉いどれ天使(1948年)、羅生門(1950年) 、生きる(1952年) 、七人の侍(1954年)、用心棒(1961年)、椿三十郎(1962年)、天国と地獄(1963年) 、赤ひげ(1965年)などなど、映画史に残る作品を発表していった黒澤明。その一方、作るたびに膨れ上がる製作費と制作期間がネックとなり、70年代は不遇の時を送っていたのである。
黒澤のつまづきは、60年代半ばから始まっていた。65年に発表した『赤ひげ』は評価も高く、興行収入も年間1位になったのだが、先ほど話した製作費の問題などから、個人事務所を設立し、活動の場をハリウッドに移すことを決意。しかし、次回作になるはずだった『暴走機関車』はハリウッドとの製作方針の違いでもめて頓挫。
1967年には『トラ・トラ・トラ!』を20世紀フォックスと共同製作することが決定。真珠湾攻撃が題材の戦争映画だ。実際に撮影も始まったのだが、度重なる撮影スケジュールの遅延に業を煮やした20世紀フォックスから、事実上解任されてしまうのである。
黒澤の不幸はまだ続く。日本に戻り、1970年『どですかでん』を発表。自宅を担保に製作費を捻出した5年ぶりの作品だったのだが、 興行的に失敗。黒澤は大きな借金を背負い、その後自殺未遂事件なども起こしてしまう。
そんな黒澤に手を差し伸べたのは、意外なところからだった。ソ連である。ソ連に渡った黒澤は、オールソ連ロケのソ連映画を監督する。
長くなりましたが、その映画こそ『デルス・ウザーラ』なのであります。2年に渡る長期ロケ。冬は零下37度になる過酷な環境の中で、監督は完璧主義者・黒澤明。撮り直しの連続でスタッフ・キャストは大変な苦労だったと思います。
『デルス・ウザーラ』は、自然と人間との共生を、主人公の自然人デルスを通してドキュメンタリータッチで描く、黒澤監督の新境地。
ウラジミールを隊長とする探検隊は、地質調査のため、シベリアのウズリ地方に向かう。しかし予想を遥かに超える厳しい自然。そこで彼らは、先住民の猟師デルス・ウザーラと出会い、危機を脱する。やがて、ウラジミール隊長とデルスは深い友情に結ばれていく。しかし過酷な大自然の中、彼らを待ち受ける運命とは…
できれば大スクリーンで見ていただきたいこの映画。圧倒的な大自然の中、男たちの友情と危機。文明と自然の関係を、言葉ではなく映像で描ききった傑作である。黒澤明ってこんな映画も撮れるんだ!とその才能に驚かされる。公開当時のパンフレットには萩原健一の推薦文が載っており、「141分が短かかった」と、感動を伝えていた。そしてショーケンは黒澤の次回作『影武者』に、念願の出演をすることになるのである。
ちなみにこの物語は、ソ連から話が来る前、設定を北海道にして、三船敏郎にデルスか隊長役を考えていたのだとか。でも、ソ連の圧倒的大自然やリアルで素晴らしい俳優たちを見てしまうと、こっちでよかったなぁと思ってしまいます。別に三船敏郎を過小評価しているわけではありません。三船さんは『デルス・ウザーラ』撮影中のシベリアの奥地まで、わざわざ陣中見舞いに行っています。いい人だ。
2年もの過酷なロケを乗り越え、やっと完成した大作『デルス・ウザーラ』は1975年に公開され、第48回 アカデミー賞 外国語映画賞、第9回 モスクワ国際映画祭 金賞、など国際的に圧倒的評価をされました。パチパチパチ。
一般的には1980年の『影武者』で黒澤明は復活したイメージだが、本当はこの『デルス・ウザーラ』で復活していたのです。個人的には『影武者』以降、後期の黒澤映画は、それほどいいとは思わない。でも黒澤さんは不遇の時代を乗り越えて晩年が幸せそうでよかったなぁ。ずっと映画が撮れてよかったなぁと思うのであります。
黒澤監督は、『デルス・ウザーラ』の成功の後、またソ連で撮る予定だったという。エドガー・アラン・ポー原作の『赤き死の仮面』を元に『黒き死の仮面』という映画を。話は流れてしまったが、それ見たかった! ハリウッドで流れた『暴走機関車』と同じくらい見たかった。
さて、黒澤監督が初の70㎜で撮った大作『デルス・ウザーラ』のお話、いかがだったでしょうか。できれば大スクリーンでもう一度見たいものです。黒澤明の最高傑作は? とアンケートしたら、『七人の侍』が当然1位になるのでしょう。異存はありません。でもこの『デルス・ウザーラ』も一般的にはあまり知られていないけど、素晴らしい映画なのです。
最後に、見た人だけがわかる感動の言葉で締めたいと思います。
「カピターン!」
『黒澤明 : THE MASTERWORKS 1 DVD BOXSET』
「ぜひ見てほしい」と紹介しておいてあれですが、『デルス・ウザーラ』は幻の作品になっているのか、なかなか手に入りずらいようです。DVDならいっそこちらはいかがでしょう? 値は張りますが『七人の侍』 や『赤ひげ』なども手に入りますし。
書籍『黒澤明 樹海の迷宮: 映画「デルス・ウザーラ」全記録1971-1975』
『デルス・ウザーラ』の撮影日誌を読むことができる肉声に充ちた制作ドキュメント。撮影がどれだけ過酷だったか、黒澤さんがどれほど完璧主義者で映画好きで憎めない我儘者か、裏側を見ることができる貴重な記録です。読んでる途中で、この映画ほんとに完成するのかな? と思ってしまうトラブルの数々。制作助手の野上照代さん、お疲れ様でした!