70年代研究所

70年代~80年代!あの時代にタイムスリップ!

憑依する少女・大竹しのぶ

先日、「ななきち所長。きみは映画『あゝ野麦峠』を観たか? あれは名作だから、後世に残したい。ぜひ70年代研究所でも取り上げてほしいのじゃ」(原文ママ)というメールを、あるご老人からいただきましたので、微力ながらご協力いたします。


映画『あゝ野麦峠』は、1979年公開の社会派作品。原作は山本茂実の同名ノンフィクション。 監督は『白い巨塔』『戦争と人間』『皇帝のいない八月』山本薩夫であります。

 


ああ野麦峠 <東宝DVD名作セレクション>

 明治後期、飛騨の寒村の少女たちはわずかな契約金と引き換えに、野麦峠を越えて製紙工場へ赴いた。厳しい労働と苛烈な人間関係に耐え、富国強兵の底辺を支えた少女たちの姿を描く。ノンフィクション文学を原作にした感動の人間ドラマ。

出演:大竹しのぶ/原田美枝子/友里千賀子/古手川裕子/地井武男/西村晃/三国連太郎

 

娘を売る親。厳しい労働。わずかな賃金。男尊女卑。耐える少女たち。
実話を元にされたこの物語は、日本近代史の闇と言えるでしょう。ブラック企業どころではない、まっ黒な、いわば奴隷制度が現実にあったのです。

でも今の時代、ここまでひどくはなくても、私たちが日頃使っている商品も、もしかしたらどこかの国の過酷な工場で、貧しい少女たちの手によって作られているのかも。とか思ったり。

いろいろ考えさせられる映画『あゝ野麦峠』
目だけですべてを表現できる大竹しのぶの圧巻の演技! 共演の原田美枝子も、友里千賀子も、古手川裕子もみんなまだ少女。そして熱演。涙なくしては観られない、後世に残したい名作なのであります。

 

 

大竹しのぶの映画デビューは『青春の門』(1975年)。続編の『青春の門 自立篇』(1977年)にも出演。原作は、五木寛之の言わずと知れた大河小説。2019年には「週刊現代」で完結編がスタート。恐るべしロングロングストーリーです。                                                                                                                                 
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大竹しのぶのは、映画初出演で、いきなり吉永小百合と共演!(でも抱っこされているのが大竹しのぶではありません。←当たり前だ)

 

                                                                                                                        
青春の門 自立篇 [DVD]

成長した織江を演じた続編。

 

 

『あゝ野麦峠』も『青春の門』も名作ですが、70年代の大竹しのぶと言えば、筆者のお薦めは、『事件』(1978年 監督:野村芳太郎)です。

 


あの頃映画 the Best 松竹ブルーレイ・コレクション 事件 [Blu-ray]

●単なる刺殺事件と思われた背後に、一人の青年を愛してしまった姉妹の激しい葛藤が渦巻いていたさまを、裁判の過程で浮き上がらせていく骨太の人間ドラマ。裁判は谷本裁判長(佐分利信)の下、岡部検事(芦田伸介)、菊池弁護士(丹波哲郎)の証人尋問によって緊迫していた。そして、次々と召喚される証人の口から、意外な事実が解明されていく・・・・。

 

 
はすっぱで妖艶なホステス・松坂慶子、チンピラ・渡瀬恒彦も最高!
弁護士役・丹波哲郎も(たぶんカンペを見ながら)熱演!  佐分利信芦田伸介の重厚さ! 永島敏行以外の名優たちの圧倒的演技の応酬に引き込まれます。ストーリーも秀逸! しかし、それもこれも、「事件」の鍵を握る少女を演じた大竹しのぶのリアリティさに、すべて持っていかれてしまうのであります! 永島敏行の棒読みまでも持っていかれてしまうのでありますw

 

憑依型天才女優・大竹しのぶ。今もすごいですが、少女の頃の『あゝ野麦峠』と『青春の門』、『事件』も圧巻ですので、まだの人はぜひ! 一度観た人もその憑依っぷりに再び衝撃を受けてください!

 

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すっぴん爆笑おばさん「研ナオコ」の素顔

最近、研ナオコがまた注目を集めています。


きっかけは、SNSでのすっぴん写真の公開。これズルいよな~。必殺技じゃん(笑)。先日のテレビ「ダウンタウンDX」でもハマグリにかぶり付くすっぴん写真を披露して、爆笑をさらっていました。これはまた来ますね研ナオコブーム! そうなったら、井上順とか昔の面白メンバーで、ゆるい「ジジバババラエティ番組」が見たいですね。サントリーロコモアとかポリデントとか、スポンサーもつきそうだし、視聴率も取れそうだけどなぁ。

 
 
 
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研ナオコ (Naoko Ken)(@ken.naoko)がシェアした投稿

Instagram (ken.naoko)より 

 

 

てなわけで、今回は研ナオコさん(67歳)を取り上げていきます。

 

研さんと言えば、70年代~80年代にテレビを中心に大人気。バラエティ番組でのとんでもない面白キャラと、歌手としての味のあるブルーなイメージ。そのギャップがすごかったです。“失恋ソングの歌姫”とも呼ばれていました。

当時はコンプライアンスなどない時代だったので、「ブスの代名詞」みたいな、身近な人気者でしたね。志村けんさんとの名コンビも忘れられないし、殺虫剤キンチョールのCM「飛んでれら、死んでれら」なんてセリフも流行りました。

 


歌手・研ナオコとしては、何と言っても中島みゆきさんとのタッグが有名です。熱唱型ではない研さん独特の歌い方とマッチして、ヒットを連発したものです。ふたりの出会いは、研ナオコが飛行機の機内で、たまたま中島みゆきのデビュー曲「アザミ嬢のララバイ」を聴いたことから。その世界観に惹かれ、「この人の曲を歌いたい」と、まだ売れる前の新人・中島みゆきに依頼。そこから名コンビが始まるわけです。

また、これは憶測ですが、中島みゆきと言えば、歌っている時の神々しさと、ラジオでのハチャメチャさのギャップがすごい。そのルーツは研ナオコにあるのではないかと筆者は思っています。

 


中島みゆき作品コンプリート

現存する「中島みゆき作品」を唄う「研ナオコ音源」のすべてを、バージョン違いも含めて3枚のCDに詰め込んだ納得のコレクション。「あばよ」「かもめはかもめ」「窓ガラス」(当時のバックバンドはTHE ALFEE)「みにくいあひるの子」「時代」「アザミ嬢のララバイ」「追いかけてヨコハマ」「LA-LA-LA」など、なんと44曲収録!

1枚目は研ナオコへの書き下ろし作品だけを完全収録。2枚目は中島みゆき歌唱楽曲のカバー。3枚目は他アーチストへの提供曲を歌ったもの。 珠玉のCD3枚組。

 


ボーカリスト・研ナオコさんの実力は、業界でも評価が高く、中島みゆきさん以外にも、超豪華なメンバーが作品を提供しています。

 

「愚図」 作詞:阿木燿子 作曲:宇崎竜童(1975年)
「風をくらって」作詞・作曲:つのだひろ(1977年)
「愛をもう一度」作詞・作曲:谷山浩子(1979年)
「くちぐせ」作詞・作曲:荒木一郎(1980年)
「砂の舟」 作曲:伊勢正三(1980年)
「別離の黄昏」作詞・作曲:甲斐よしひろ(1981年)
「夏をあきらめて」作詞・作曲:桑田佳祐(1982年)
「Lonely Way」作曲:南佳孝(1983年)
「愛、どうじゃ。恋、どうじゃ。」作曲:筒美京平(1983年)
「泣かせて」作詞・作曲:小椋佳(1983年)
「夜に蒼ざめて」作曲:来生たかお(1984年)
「六本木レイン」作曲:吉田拓郎(1985年)
Toshi & Naoko「夏ざかりほの字組」作詞:阿久悠(1985年)
「帰愁」作詞・作曲:松任谷由実(1985年)
「悲しい女」作詞・作曲:谷村新司(1992年)
「花火」作詞・作曲:高橋ジョージ(1994年)
けん♀♂けん「銀座あたりでギン!ギン!ギン!」作詞・作曲:つんく♂(2001年)
「私は泣いています」作詞・作曲:りりィ(2019年)

 

中島みゆきさんを筆頭に、宇崎竜童、谷山浩子、伊勢正三、甲斐よしひろ、桑田佳祐、南佳孝、小椋佳、来生たかお、吉田拓郎、ユーミン、谷村新司、高橋ジョージ、つんく♂って、すごくないですか⁉ 研さんが歌手として愛されていないとあり得ないラインナップですよね。

ただの“すっぴん爆笑おばさん”ではないんですよ、研ナオコは(笑)。

 


プラチナムベスト 研ナオコ シングル&カバー コレクション (UHQCD)

 

 

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松本隆の『ローリング30』

『ローリング30』とは、78年リリースの吉田拓郎70年代最後のスタジオアルバムである。え?だったらタイトルが違うよね。いやいやいいんです。このアルバムは、松本隆なくしてはあり得ない作品なのだから。

 

言わずと知れたカリスマ作詞家・松本隆は、日本初の日本語で歌うロックバンド「はっぴいえんど」のドラマー(作詞も)として活躍。解散後、作詞家に転身。

 

アグネス・チャン「ポケットいっぱいの秘密」、イエロー・マジック・オーケストラ「君に、胸キュン。」、大瀧詠一「君は天然色」、太田裕美「木綿のハンカチーフ」、KinKi Kids「硝子の少年」、桑名正博「セクシャルバイオレットNo.1」、小泉今日子「水のルージュ」、近藤真彦「スニーカーぶる〜す」、C-C-B「Romanticが止まらない」、竹内まりや「SEPTEMBER」、寺尾聰「ルビーの指環」、トランザム「ビューティフル・サンデー(訳詞)」、中川翔子「綺麗ア・ラ・モード」、中原理恵「東京ららばい」、中森明菜「二人静 -「天河伝説殺人事件」より」、中山美穂「WAKU WAKUさせて」、浜田省吾「LOVE TRAIN 」、原田真二「キャンディ」、氷室京介「魂を抱いてくれ」、松田聖子「白いパラソル」、「風立ちぬ」、「赤いスイートピー」、「渚のバルコニー」、「SWEET MEMORIES」、南佳孝「スローなブギにしてくれ(I Want You)」、森進一「冬のリヴィエラ」、薬師丸ひろ子「探偵物語」、矢沢永吉「Anytime Woman」、安田成美「風の谷のナウシカ」、山下久美子「赤道小町ドキッ」、ラッツ&スター「Tシャツに口紅」、吉田拓郎「外は白い雪の夜」

 

などなどなど。とても書ききれないヒット曲や名曲を手がけた天才作詞家である。シングル曲だけでなく、アルバム全体をバランスよく作詞する才能も、作詞家の中で群を抜いている。大瀧詠一の名盤『A LONG VACATION』はその代表格と言えるだろう。


そんな松本隆が29歳吉田拓郎が32歳の時、このアルバム『ローリング30』は制作された。2枚組21曲のほとんど(18曲)を松本隆が作詞。その制作の過程が、おそらく世界唯一のとんでもない方法だったのである。先日(2021年5月14日)、『吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD』で拓郎自身が、およそ次のように語っていた。

 

「一緒に組んでアルバムを作ろうという企画を、松本隆くんに持っていった。最初から2枚組(の構想)だ。だから18曲か20曲くらいいるなぁ。一気にやろう。一か月くらいでやっつけちゃおう。目の前でキミ書いてくんねぇか。俺、せっかちだから横で待ってるから。で、詞が出来上がったら、すぐ俺が曲をつける。そういう流れ作業みたいにバババッて、あれこれ考えないで曲作りやんねぇか。キミは詞に徹する。僕はメロディに徹する。そういうのどうだろう」

どうだろう? って、いいわけないし、そんなアルバムの作り方は聞いたことがないのだが、なんと松本隆はOKし、実際に曲作りからレコーディングまで一気に行う“合宿レコーディング”は決行された。場所は、箱根ロックウェルスタジオ。

 

「スタジオ近くの素敵なリゾートホテルのプールサイドの部屋を借り切った。部屋は俺と松本は隣りあわせでね、彼が詞を書き終わったら、すぐギターを持って俺が曲を作って、カセットテープに吹き込んで、すぐ近所のスタジオに行ってレコーディングする。お互いに刺激しあったね」

と、拓郎さんは語っていたが、せっかちな拓郎さんがギターを持って待機している中で、次から次へと作詞できるって、どんだけ才能あるんだ松本隆先生! しかもその作品のクオリティの高さ! 

 

「あのアルバム、今聴いてもね、すっげえいいなぁ。ほんとに短い期間でふたりでパパパパって作ったんだから。よくこれ作ったなぁと思う。直しとかあんましなかったんだなぁ それがよかったのかもしれないね。大学の受験勉強の一夜漬けみたいなかんじだったな。松本隆の詞は、言葉の持つリズム感のよさがいい。彼の持つ言葉が踊ってる。俺、岡本おさみさんていう、リズム感の全くない人の詞を、あれこれ苦労しながら作ってきたから(笑)。松本隆の、あのリズム感のある言葉たちがわ~ってくると、すぐ曲ができちゃうんだよ」

岡本おさみさんは作詞家というか、詩人ですからね。でも初期の拓郎さんは、あの岡本おさみさんの字余りの歌詞を無理やり歌って“字余りソング”と呼ばれて有名のなったのも事実ではあります。岡本おさみさんと松本隆さんは、まったくタイプが違いますが、どちらもすごい才能ですよね。作曲する立場なら松本さんがイイ!というのはわかりますが。

 

そんな『ローリング30』のジャケット撮影はサイパンで行われ、松本隆さんも同行した。たぶん松本さんは行かなくてもよかったと思われますが、一緒に行ったら楽しいですからね(笑)。そんなサイパンのビーチで逆ナン?ナンパ?した話も『吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD』でしてました。

「サイパンの話、あぶねぇなぁ。でもあの頃、松本と楽しかったの覚えてるんだよ」
と拓郎さんは笑っておりました。

 

『ローリング30』は、天才同士がバチバチそして肩を組みながら共同作業で一気に完成させた、奇跡のアルバム、不滅のアルバムなのであります。拓郎さんは現在、ラストアルバムの準備に入ってるようで、こちらも15~16曲は入るそうなので、『ローリング30』以来の2枚組オリジナルアルバムになるのでしょう。すごく楽しみです。

松本隆さんとの名コンビが復活するのかにも注目ですね。

 


ローリング30(紙ジャケット仕様)


全作詞:松本隆(特記以外)、全作曲:吉田拓郎
CD盤

Disc1

ローリング 30

まるで大理石のように
英雄
君が欲しいよ
ハートブレイク・マンション
裏街のマリア
恋唄
外は白い雪の夜

Disc2

狼のブルース
旅立てジャック
白夜
わけわからず (作詞:吉田拓郎)
冷たい雨が降っている
虹の魚
言葉
Baby
無題
海へ帰る (作詞:吉田拓郎)
君の街に行くよ
素敵なのは夜 (作詞:白石ありす)


※作詞、作曲から始めて、一気に行う“合宿レコーディング”したとは思えない、名曲のオンパレード!!! 

 

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1970 年代のサザンオールスターズ

日本の歴代ナンバー1バンドと言いますか、日本のビートルズといいますか、世代を超え、記憶にも記録にも残る最強バンド、サザンオールスターズ。そんなサザンのデビュー当時を今回は取り上げます。


70年代、青山学院大学のフォークソング・サークルで、桑田佳祐はロックバンド「温泉あんまももひきバンド」を結成。「ピストン桑田とシリンダーズ」、「青学ドミノス」、「脳卒中」、「桑田佳祐とヒッチコック劇場」とバンド名やメンバーを変えながら、最終的に「サザンオールスターズ」に落ち着きます。「脳卒中」に落ち着かなくてホントよかったですね。他もヤバイけど(笑)。

 

コンテストなどを経て、サザンオールスターズのデビューは、1978年6月25日発売のシングル「勝手にシンドバッド」。いきなりぶちかまします! 中学生だった筆者は、この曲に衝撃を受け、カセットテープのA面B面全部に繰り返し「勝手にシンドバッド」だけを録音し、狂ったように聴いていました(笑)。スピード感のあるメチャクチャな歌を、若さが求めていたのです。


勝手にシンドバッド

 

デビュー当時のサザンは、服装も髪型も雰囲気も、まさにその辺の大学生のおにいちゃんたち。タンクトップに短パン姿でテレビで歌っている桑田佳祐も、クラスにいるお調子者の男子というイメージでした。世間的にも「色物バンド」「コミックバンド」「面白いけど、どうせ一発屋」といった評価だったのであります。

1978年8月25日には、1stアルバム『熱い胸さわぎ』が発売されます。サザンやるじゃん。とか言いつつも、♪女呼んで もんで抱いていい気持ち 女なんてそんなもんさ と歌う「女呼んでブギ」がオモシレー! とか、やはりコミックソング推しで盛り上がっていました。


熱い胸さわぎ

 

 

 

しかし! サザンオールスターズは、桑田佳祐は・・・本物中の本物だと愕然とさせられるシングルが発表されます。

1979年3月25日リリース「いとしのエリー」


いとしのエリー

 

日本歴代ミュージックシーンの中でも名曲中の名曲の誕生です。世間のサザンに対する見方もガラリと変わり、もう誰もコミックバンド扱いなどしなくなりました。

1983年には名作ドラマ『ふぞろいの林檎たち』の主題歌にも採用されます。四流大学のおちこぼれの大学生たちをリアルに描いた、脚本家・山田太一の代表作。「いとしのエリー」が、ドラマのグッとくるシーンをさらにグッとさせて、当時の若者は涙したのであります。


1979年4月5日、2ndアルバム『10ナンバーズ・からっと』を発売。「いとしのエリー」、「思い過ごしも恋のうち」、「気分しだいで責めないで」など収録。


10ナンバーズ・からっと

 


しかし、サザンが本当に歴史的なバンドになるのは80年代に入ってからです。セールス的にもアルバムがヒットチャート1位になるのは80年発売の3rdアルバム『タイニイ・バブルス』から。その後、2015年発売の15th『葡萄』まで、80 年以降に出したアルバム13枚は全てチャート1位になっているのであります。


1981年発売4thアルバム『ステレオ太陽族』

「栞のテーマ」収録!!!


ステレオ太陽族

 

 

1982年発売5thアルバム『NUDE MAN』

「Oh! クラウディア」収録!!!


NUDE MAN

 


この80年代初頭の2枚のアルバムは、あまりにも名盤! “実力も人気も最高のナンバー1バンド”という地位を決定付けた。と筆者は思います。誰でも自分が若かった頃の曲に1番思い入れがあるでしょう。高校生、大学生くらいの年齢の時に『ステレオ太陽族』『NUDE MAN』をリアルタイムで聞いて感動しまくった。この気持ちはもう越えられないんですよね。サザンはこの後もずっと名曲や名盤を出し続けますけど、自分にとっては、あの時のあの感動は越えられない。そういうものですよね。

 

さて、そんなサザンオールスターズですが、2015年発売15th『葡萄』からオリジナルアルバムを出していません(2021年5月現在)。 40周年ベストアルバム『海のOh, Yeah!!』はあったし、昨年は全国ツアー『“キミは見てくれが悪いんだから、アホ丸出しでマイクを握ってろ!!”だと!? ふざけるな!!』もあったけどね。(すげえタイトルw)  新曲「愛はスローにちょっとずつ」もあったけど、そろそろオリジナルアルバムが聴きたいところなのであります。それにしても桑田佳祐という人の唯一無二の個性(楽曲、歌詞、声、歌い方、ユーモアセンス)は、天才としか言いようがないですよね。ほんと。

 

 


【メーカー特典あり】海のOh,Yeah!!(2CD)(通常盤)(サザンオールスターズ 40th キックオフポスター A2サイズ+ "海の幸!!"ケース付)

 

 


【メーカー特典あり】LIVE TOUR 2019 “キミは見てくれが悪いんだから、アホ丸出しでマイクを握ってろ!!" だと!? ふざけるな!! [2DVD] (通常盤) (メーカー特典 : オリジナルクリアファイル 付)

 

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昭和の怪優・丹波哲郎 伝説!

 

Gメン75 DVDコレクション  創刊号 デアゴスティーニ

価格:499円
(2021/5/26 08:32時点)
感想(0件)

 

圧倒的な存在感で、数々の映画やドラマに出演した、昭和の快優・丹波哲郎。バラエティ番組などに出ても、独特のムードを漂わせて面白かった。

そんな丹波哲郎の代表作のひとつ『Gメン'75』がDVDコレクションとして発売され、また注目されています。

 

あの『キイハンター』(こちらの主演も丹波哲郎)の流れをくむ『Gメン'75』は、1975年5月24日 ~1982年4月3日までの7年間放送。「土曜日21:00~と言えばGメン!」という人も多かった人気ドラマであります。終了からわずか半年後の82年10月からは『Gメン'82』という続編も放送されました。Gメンシリーズは8年もの間、お茶の間を楽しませてくれたドラマなのです。

 

「Gメン」とは、警視庁庁舎から独立した特別潜入捜査班のことで、本部長の黒木警視を演じたのが、我らが丹波哲郎である。内容は、国内犯罪から国際犯罪まで、世相を反映した様々な事件を解決していく、アクション・ハードボイルド・ドラマ

倉田保昭が活躍する、香港マカオシリーズも人気ありました。 今はなき香港の無法地帯・九龍城でロケを敢行したり、なかなか本格的でしたね。

 

オープニング、陽炎の中をメンバーが滑走路を横一列に歩くタイトルバックも印象的で、覚えている方も多いでしょう。芥川隆行による、次回作の予告「ハードボイルド Gメン'75。熱い心を強い意志で包んだ人間たち」のナレーションにもワクワクしたものです。

丹波哲郎の黒木警視は、『太陽にほえろ』で言えば石原裕次郎のようなボス役なので、ほぼ活躍はしないのですが、『Gメン'75』と聞くと丹波哲郎の顔が思い浮かびます。それほどインパクトのある顔なんですよねぇ。

ご本人もテレビのバラエティ番組で「Gメンの思い出なんてあんまりないんだよ。なんせ俺は、“行ってこい”、“ごくろう”、“よくやった”。これだけだもん。みんながやるんだよ(笑)」と豪快に語っていた。「オープニングの横並びで歩くシーンを撮る時の、陽炎待ちしか思い出がない。前日に木更津の宿屋に監禁されちゃうわけ、俺だけ」だそうである。監禁される理由は、朝来ないから(笑)。そんな人が主演で8年続くドラマ。すごいですね。昭和という時代は。

 


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そんな丹波哲郎の人生をざっと振り返ると、1922年7月17日東京は新宿で裕福な家に生まれ、学校の成績は悪かったが、コネで中央大学法学部英法科に入学。学徒出陣で太平洋戦争へ駆り出され、態度がでかいと殴られる日々(あの川上哲治が上官で、殴られていたという。恐すぎる!)。

戦後は、さほど英語ができないのに英法科だからか、GHQで通訳のアルバイトをしていたが、英語がわからないからトイレに隠れていたらしい。

その後、俳優を志すのだが、ここでも最初から態度はでかかったという。「徹子の部屋」でも黒柳徹子「丹波さんは、今、態度が大きいけど、デビューの頃からおんなじね。最初から態度が大きかったわね」と言われ、本人は「ふてぶてしいとか、態度がでかいとか誤解されるだよ。それは体が大きいから。そういうのは軍隊では不利。でも芸能界では、いかされている」と語っていた。

ちなみに身長は175㎝。当時としては大柄ですが、正直もっとずっと大きいと思っていました。印象185㎝くらいですね。

そんな態度がでかくて馴れ馴れしい丹波さん、プロデューサーや監督、助監督やスタッフ、掃除のおばちゃんまで、誰にでもまったく同じ態度で接していたらしい。それは「人間みんなイーブンだから」だそう。素晴らしい!「だからスタッフには評判がよかったんだよ」(本人談)。つまり誰にでもフランクな人だったんですね。

 

丹波哲郎の逸話では、セリフを覚えない。が有名です。「共演者の体や、そのへんの小道具にまでカンニングペーパーが貼られている」と、バラエティ番組に出るたびに、数々の共演者から暴露され、「うるさいよ!俺のことはいいんだよ」などと怒りながら笑ってるのが楽しかったですね。

名作映画『砂の器』(1974年)の今西刑事役とか見ていると、まるで演技派かと思うほど、素晴らしいのですが、あれもカンペ貼ってあったのかなぁ。

また、台本を読んでこないことでも知られ、監督に「ちゃんと家で読んでこい!」と怒られると、 「俺は家庭に仕事を持ち込まない主義だ」と答えたのも実話らしい(笑)。

 

さらに、遅刻魔としても有名で、映画『007は二度死ぬ』(1967年)でも、毎朝ホテルの部屋から起きてこなくて、ついには主役のショーン・コネリーが丹波の部屋を訪れて起こした。などの逸話もある。大物だよなぁ(笑)。

 

あと、交通違反で停められた時、警察官に「Gメンの丹波だが」と言った話も有名ですね。「ごくろう」と通り過ぎようとしたのでしょうか(笑)。

 

晩年、丹波さんは、ベストセラーになった「丹波哲郎の大霊界」を上梓。映画化した『丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなる』もヒットして、2作も続編映画が作られました。当時「丹波さん、死んでもないのになんでわかるんだ(笑)」思ったものです。

 

そんなわけで、丹波さん好きだったなぁ。面白かった。こんなめちゃくちゃな人物、今いないでしょ。令和時代は変な人いない。枠からはみだすと干されるから。だから役者もこじんまりした常識人になっちゃうんですよね。圧倒的な存在感と大物感を漂わせた昭和の怪優でした。

 

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黒木警視:丹波哲郎
関屋警部補:原田大二郎
草野刑事:倉田保昭
津坂刑事:岡本富士太
響圭子刑事:藤田美保子
山田刑事:藤木悠
小田切警視:夏木陽介

若林豪、伊吹剛、森マリア、宮内洋、夏木マリ、鹿賀丈史、范文雀、江波杏子も出演しています。


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ボブ・ディランが80歳になりました

ボブ・ディランが80歳の誕生日を迎えたという。

80歳! ディランが80歳かぁ~・・・時代は変わる。

 

ボブ・ディランといえば、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のソングライター」において第1位。2016年には歌手としては初めてノーベル文学賞を受賞など、言わずと知れた、神様的シンガーソングライターである。

 

ディランのデビューは、1962年3月のアルバム『ボブ・ディラン』。そして1963年5月、歴史的名曲「風に吹かれて」が収録されているセカンド・アルバム『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』をリリース。「フォークの貴公子」と呼ばれるようになり、『時代は変る』、『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』、『追憶のハイウェイ61』、『ブロンド・オン・ブロンド』など名盤を次々発表。

 

フォークからロックまで、プロテスト・ソングからラブソングまで。まさに時代の寵児として若者に圧倒的支持と影響を与えた。70年代を待たずして、すでにボブ・ディランはスーパースターだったのである。ビートルズが1970年に解散(法的には1971年)なので、そりゃそうですよね。

 


ザ・ベスト・オブ・ボブ・ディラン

 

 
70年代に入ってからのディランは、往年の名曲カバー中心のアルバム『セルフ・ポートレイト』からスタート。

1973年、ビリー・ザ・キッドを題材にした映画『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』の音楽を担当。挿入歌は名曲「天国への扉」。ビリーを演じたわけではないがディランも出演しています。

 

実はボブ・ディランが日本でも一般的に有名になったのはこの頃からで、彼の影響を受けた吉田拓郎がラジオでディランの曲を流したり、インタビューで語ったり。1973年には拓郎の選曲によるボブ・ディランのベスト盤『BOB DYLAN; Gift Pack Series10』を発売したり。その結果、日本でもボブ・ディランはコアな音楽ファン以外にも知られていくのである。72年のガロのヒット曲「学生街の喫茶店」の歌詞に「ボブ・ディラン」が出てきたのも大きいですね。

 


ザ・ベスト・オブ・ボブ・ディラン VOL.2

 

1974年のディランは、ザ・バンド『プラネット・ウェイヴス』を発表。翌1975年には『血の轍』、1976年には『欲望』(「ハリケーン」が好き!)をリリース。

1978年には初の来日公演が実現! この時点でのベストセットリストと呼べるほど、代表曲が詰まったステージとなった。その模様はライブアルバム『武道館』として発売され、世界中で大ヒット。


1979年には『スロー・トレイン・カミング』をリリース。この作品と、1980年発表の『セイヴド』、1981年発表の『ショット・オブ・ラブ』は、「ゴスペル三部作」と呼ばれている。(ちなみに筆者はポップでキャッチーな「ショット・オブ・ラブ」がとても好き。一般的な評価は低いかもですが、U2のボノも好きらしい)

 

80年代以降も、ずっと活躍して、ついにはノーベル文学賞までなぜか受賞してしまったボブ・ディラン。しかし、その実態は謎に包まれている。日本での来日コンサートも数多いのだが、レコード会社の担当者ですら会ってもらえず、日本でのオフはどこでどうやって過ごしているのかさえ、まったくわからないのだそう。

 


1970 (特典なし)

 ジョージ・ハリスンとの貴重なセッションを収録した50周年記念盤。

 

 近年もインタビューで、楽曲の違法ダウンロードが横行していることへの問いに「もともと何の価値もないから別にいいんじゃないかな」と答え、インタビューアーを絶句させたw

2020年12月には、突如全曲600曲の著作権を300億円でユニバーサルに売却。ディランマニアの有識者は、「ディランはたぶんなんとも思ってない。それがいいならそうしよう程度の話じゃない?」と言っていたが、ほんとにそんなかんじかもしれない。

 『ボブ・ディランの頭のなか』というディラン主演の映画があるが、ボブ・ディランの頭の中は、常人には理解できない領域なのである。

 

そんなディランは、昨年(2020年)3月、17分にもおよぶ新曲「最も卑劣な殺人」をYouTubeで突然発表。4月には「アイ・コンテイン・マルチチュード」、5月には「偽預言者」と、立て続けに発表し、6月19日、8年ぶりとなるオリジナルアルバム『ラフ&ロウディ・ウェイズ』をリリースした。相変わらずのディラン節! そして衰えぬ創作意欲に脱帽なのであります!

 

 


ラフ&ロウディ・ウェイズ

新曲 「最も卑劣な殺人」、「アイ・コンテイン・マルチチュード」、
「偽預言者」を含む、ディランの最新アルバム!


ボブ・ディラン・モノ・ボックス

ディランの初期8枚のアルバムのMONOアルバム!!

 

1976年の松田優作

1976年3月。松田優作は窮地に陥っていた。

暴力事件で、懲役10月、執行猶予3年の有罪判決を受け、謹慎していたのである。

 

事件のあらましはこうだ。1年前の1975年7月、中村雅俊とダブル主演のテレビドラマ『俺たちの勲章』のロケが鹿児島で行われ、夜に打ち上げが開かれた。場所は、鹿児島最大の繁華街・天文通り。

明け方まで仲間と痛飲していた優作は、一緒に飲んでいた女性を送っていこうと店を出る。その時に事件は起きた。女性と優作が口論していると勘違いした通行人が仲裁に入り、その男性を優作が暴行したのである。

優作からしたら、「酔っぱらって騒いでいるところに、からんできた奴がいたからボコボコにした」といったかんじなのかもしれないが、相手の怪我は全治3カ月。途中から優作の連れの俳優が加勢した為、話も怪我も大きくなる。

さらに相手の男性が19歳の予備校生だった為、「暴力俳優ふたりが、寄ってたかって未成年に暴行」ということになってしまったのである。

 

翌1976年1月、優作は警視庁新宿警察署に逮捕される。必殺シリーズの流れを組むテレビ時代劇『隠し目付参上』に出演予定だった優作だが、クランクイン直前にこれを降板(代役は沖雅也)。同年3月には有罪判決を受け、謹慎生活に入る。

しかし、昭和という時代はすごい。たった3か月で優作は復帰。主演映画が公開される。つまり、「テレビドラマを1本降板したから禊は済んだ」ということだ。今では考えられない寛容な時代である。

しかも暴力事件後、復帰映画のタイトルは『暴力教室』!! こ、これは大丈夫なのか? しかし、暴行を受けた予備校生の痛みなどまったく考えず「優作すげえ! 全然変わってねぇよ!」とファンのガキは喜んだ。だいたい暴行事件が発覚した時も「優作やっぱ強ええ!」くらいの反応だったのである当時のガキどもは。(俺もw)

 


暴力教室 [DVD]

暴力が支配する地獄の学園に転任してきた体育教師(優作)が、不良グループ(クールス)と激突。リーダーの舘ひろしとバチバチに殴りあう映画。

 

優作はさらに、臆病な侍役で時代劇初主演となる映画『ひとごろし』を公開。アルバム『まつりうた』で歌手デビューまでしてしまう。

翌1977年、1年ぶりにテレビドラマ『大都会 PARTII』に出演し、優作は完全復帰する。この時の役柄・徳吉刑事は、大卒のインテリという最初の設定が幻だったかのような暴力刑事で、ファンのガキどもを狂喜乱舞させる。一部では、代表作『探偵物語』工藤ちゃんより、徳吉刑事の方がもっと好き! というマニアまでいるのである。(俺かw) 本筋は普通の刑事ドラマなのに、優作のアドリブが満載。主演ではない気楽さからか、肩の力が抜けていて、渡哲也との共演を心底楽しんでいるのが伝わってくる。

 


大都会 PARTII(特典なし) [DVD]

 

この年には、話題の角川映画『人間の証明』にも出演した優作は、スーパースターへの道を歩み始めることになる。コンプライアンスという概念のない昭和時代だからこそ、何事もなかったかのように乗り切れた復活劇。それがいい事なのか、だめな事なのか、よくわからないが、ファンが大喜びだったのは間違いない。それにしても暴力事件の後の復帰映画が『暴力教室』で、復帰ドラマの役が暴力刑事って、ほんとにすごいと思わざるを得ない。昭和も優作も思い出しかなくなってしまったが、あの時代を象徴する、ひとつのエピソードなのであります。

 


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